日本画の巨匠土田麦僊と思想家の土田杏村の兄弟は,新穂小学校の卒業生です。
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土田麦僊は明治20年2月9日、井内土田千代吉の次男として生まれ、名は
金二と言った。
新穂尋常高等小学校卒業後、明治33年京都に出る。円山四条派の鈴木松
年に弟子入りし、次いで竹内栖鳳の門に入り、後麦僊と号す。明治40年新古
美術展に ”春の歌”でデビュー、明治42年京都市立会が専門学校別科に入
学、大正4年「大原女」を文展に出品、大正7年国画創作協会を結成「湯女」を
発表。昭和5年帝展審査員となり、昭和9年帝国美術員会員に推され、最後の
作品「燕子花」を発表、昭和11年6月10日没。50才。 |
土田 麦僊 |
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土田杏村は明治24年1月15日、三人兄弟の末弟として生まれる。名は茂
(つとむ)と言った。
幼にして秀才、高等小学校に進む。明治40年新潟師範に入学、明治44年
東京高師に入学、大正3年在学中に処女作「文明思想と新哲学」を刊行、次い
で京都大学入学、以後多彩な評論活動をする。短歌革新運動の陣頭にも立っ
て活躍する。昭和9年4月25日没。43才。
以上 新穂村史より抜粋 |
土田 杏村 |
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麦僊・杏村の生家(現在はありません) |
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在りし日の土田麦僊と舞子(高野 詢二氏寄贈) |
麦僊の金魚(学校所蔵) |
杏村新潟師範時代の作品 |
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